ネタバレ?気にしてたまるかそんなもん
映画「ジョーカー」観た。
まあ、私はこの作品は映画館ではなく
YouTubeムービーのレンタルで500円で見ただけなんだけどさ。
しかも1.25倍、ところどころ1.5倍速で観てたのですが
まあ、それくらいの感覚で正直丁度いいと感じました。
さらっと一言で要約するなら
個別の顔を認識されない匿名者・無名者の反乱
ってカンジですね。
主人公のアーサーは虐待受けたり
精神疾患もちだったり
仕事もピエロだったり
とってもかわいそうな負け組であり
まるで映画に出てきそうなほどかわいそうな人なんだけど
資本主義で虐げられ疲れ果てた人々には何らかの共感は得られそうで
そういえば公開は珍しく日米同時公開だったらしいので、日本に向けたそういうメッセージも込められていたのかなと。
この映画は話題性が高く、見終わった後あれはどうなのこれはどうなの という
議論を巻き起こしているのが特徴ですよね。
アーサー役のホアキン・フェニックスにアカデミー主演男優賞が贈られ
11部門にノミネートされ
そして鑑賞後に議論を巻き起こす、
まさに注目度を上げる仕込みバッチリ感満載です。
どこまでが現実でどこからがアーサーの妄想なのか、
その判別が難しい、っていう。
現実と妄想の境界線をあえて曖昧に描き、
ウヤムヤにしています。
その一方で、アパートの住人女性との接点が明らかに妄想だろ
っていうわかりやすい場面と、
コメディショーに出演している自分を妄想しているシーンなどを盛り込んで
どこまで妄想なのか、君にはわかるかい?的な問いかけで視聴者に挑んできているという。
この辺の誘導があるお陰で鑑賞後の議論が巻き起こるっていう仕組みができてるというか。
この映画に限らず映画には込められたメッセージがあると言われていますよね。
都市伝説界隈ではそういう目で観られる傾向が強いですね。
そういう意味では、ラストシーン、長い廊下の場面はその狂気の世界に引き込まれる構図を暗示しているかのようだったかな。
ホント、映画館ってのは集中して没頭できる反面、
へんなもの見せられるとその中に入り込んじゃうって意味で
洗脳とか刷り込みが怖いシステムですわー
んでもって、さっそく都市伝説系の感覚をこの辺で起動するけど
最近、やたら精神的な病を強調する人多いじゃないですか?
何でも「あなたは統失では?」「おまえ発達だろ」等々、とにかく精神病に落とし込む言説が蔓延してるの気づいてますかね。
あからさまだろ ってツッコミまくりたいんですけど。
いわゆるノリが良い人ほどこういう流れに安易に染まって
自分を持ち上げるために他者を病人扱いしたがる傾向がある気がする。こういうハメコミには乗っちゃいけないと思う。
そこを踏まえた上で、
現実と妄想、虚と実の判別、当然のことながらこれ大事
って頭ではわかっているけれど
なのでこういう映画は
その世界に対する抵抗感をあらかじめ奪っておくというか
そういう導線なのかもしれないと感じます。
陰謀論界隈でもプロジェクトブルー〇―ムなど
映像を現実空間に3Dで見せる技術などもありますし
音もその人にだけ聞こえる音を伝えることも可能なので
日常生活を普通に送っていて
ある日突然、暗闇の中から貞子が歩いてきたからといって
キャーって叫んでいるようでは通とはいえないので
どこから映像来てんだコレ?とちゃんと解析モードに入れる程度にならないといけないわけです。
テクノロジーを
新しい遊びさ、現実には敵わないよ
と甘く見てるとトンデモ空間に現実が変質していることに
ある日、ある時期、ようやく気づくことになるんやで。
というわけで映画「ジョーカー」を観て感想を述べて
なぜか貞子に辿り着きましたとさ。めでたし、めでたし。
そういえば映画「タクシードライバー」で反逆するテロリストの役を演じたロバート・デ・ニーロですが、
この映画の中では著名な司会者であり殺られる側なのも意味ありげですね。
「タクシードライバー」ではテロリスト化するデ・ニーロは一応、タクシー運転手の仕事についていたけれど、
「ジョーカー」では主人公アーサーは病んだピエロ役で、今のアメリカでは「誰も助けてくれない白人貧困層」の男性だ。
社会状況がさらに悪くなっている、と言う点も示唆されているのかもしれません。知らんけど。
というわけで映画「リング」をお見逃しなく。(・∀・)
まあ、私はこの作品は映画館ではなく
YouTubeムービーのレンタルで500円で見ただけなんだけどさ。
しかも1.25倍、ところどころ1.5倍速で観てたのですが
まあ、それくらいの感覚で正直丁度いいと感じました。
さらっと一言で要約するなら
個別の顔を認識されない匿名者・無名者の反乱
ってカンジですね。
主人公のアーサーは虐待受けたり
精神疾患もちだったり
仕事もピエロだったり
とってもかわいそうな負け組であり
まるで映画に出てきそうなほどかわいそうな人なんだけど
資本主義で虐げられ疲れ果てた人々には何らかの共感は得られそうで
そういえば公開は珍しく日米同時公開だったらしいので、日本に向けたそういうメッセージも込められていたのかなと。
この映画は話題性が高く、見終わった後あれはどうなのこれはどうなの という
議論を巻き起こしているのが特徴ですよね。
アーサー役のホアキン・フェニックスにアカデミー主演男優賞が贈られ
11部門にノミネートされ
そして鑑賞後に議論を巻き起こす、
まさに注目度を上げる仕込みバッチリ感満載です。
どこまでが現実でどこからがアーサーの妄想なのか、
その判別が難しい、っていう。
現実と妄想の境界線をあえて曖昧に描き、
ウヤムヤにしています。
その一方で、アパートの住人女性との接点が明らかに妄想だろ
っていうわかりやすい場面と、
コメディショーに出演している自分を妄想しているシーンなどを盛り込んで
どこまで妄想なのか、君にはわかるかい?的な問いかけで視聴者に挑んできているという。
この辺の誘導があるお陰で鑑賞後の議論が巻き起こるっていう仕組みができてるというか。
この映画に限らず映画には込められたメッセージがあると言われていますよね。
都市伝説界隈ではそういう目で観られる傾向が強いですね。
そういう意味では、ラストシーン、長い廊下の場面はその狂気の世界に引き込まれる構図を暗示しているかのようだったかな。
狂気の世界、精神疾患の世界と現実との境界線を曖昧にし、今の自分とその世界が地続きであることを示唆しているかのような。
ホント、映画館ってのは集中して没頭できる反面、
へんなもの見せられるとその中に入り込んじゃうって意味で
洗脳とか刷り込みが怖いシステムですわー
んでもって、さっそく都市伝説系の感覚をこの辺で起動するけど
最近、やたら精神的な病を強調する人多いじゃないですか?
何でも「あなたは統失では?」「おまえ発達だろ」等々、とにかく精神病に落とし込む言説が蔓延してるの気づいてますかね。
あからさまだろ ってツッコミまくりたいんですけど。
いわゆるノリが良い人ほどこういう流れに安易に染まって
自分を持ち上げるために他者を病人扱いしたがる傾向がある気がする。こういうハメコミには乗っちゃいけないと思う。
そこを踏まえた上で、
現実と妄想、虚と実の判別、当然のことながらこれ大事
って頭ではわかっているけれど
これからの世の中ではAR、VRなどの仮想現実に実感覚が伴うよう
技術が開発されているので
そのためのデータ収集が行われている真っ最中のはずで
要するに脳ミソの状態を実体験時と同じ状態にできればいいだけだし
虚と実の判別がつかなくなる日もそう遠くないんだろうなと思います。
なのでこういう映画は
その世界に対する抵抗感をあらかじめ奪っておくというか
そういう導線なのかもしれないと感じます。
陰謀論界隈でもプロジェクトブルー〇―ムなど
映像を現実空間に3Dで見せる技術などもありますし
音もその人にだけ聞こえる音を伝えることも可能なので
日常生活を普通に送っていて
ある日突然、暗闇の中から貞子が歩いてきたからといって
キャーって叫んでいるようでは通とはいえないので
どこから映像来てんだコレ?とちゃんと解析モードに入れる程度にならないといけないわけです。
テクノロジーを
新しい遊びさ、現実には敵わないよ
と甘く見てるとトンデモ空間に現実が変質していることに
ある日、ある時期、ようやく気づくことになるんやで。
というわけで映画「ジョーカー」を観て感想を述べて
なぜか貞子に辿り着きましたとさ。めでたし、めでたし。
そういえば映画「タクシードライバー」で反逆するテロリストの役を演じたロバート・デ・ニーロですが、
この映画の中では著名な司会者であり殺られる側なのも意味ありげですね。
「タクシードライバー」ではテロリスト化するデ・ニーロは一応、タクシー運転手の仕事についていたけれど、
「ジョーカー」では主人公アーサーは病んだピエロ役で、今のアメリカでは「誰も助けてくれない白人貧困層」の男性だ。
社会状況がさらに悪くなっている、と言う点も示唆されているのかもしれません。知らんけど。
というわけで映画「リング」をお見逃しなく。(・∀・)