このところ『タロット・ヴィジュアライズ・アート』作品のページを作成しておりまして
今回は『悪魔』のカードの作品をアップ致しました。
このところ死神、塔、悪魔という
怖いタロットカードの代表ばっかりなぜかアップしている事に気がつきました(¯―¯٥)
でもコワイのばかりはちょっとヤダ、ということで
塔のカードは厄除けとして天使の祈りを前面に描きましたし
悪魔のカードも小悪魔として描きましたし。
こういうところにビビリヘタレちゃんな面がチラつきますが。
小説『悪霊』の抜粋を使用
さて、悪魔のカードのページに引用した文章は
ドストエフスキー『悪霊』です。
他は『カラマーゾフの兄弟』を使っているのですが
悪魔のカードはやっぱり『悪霊』でしょ!と思いこちらに目を通してみることにしました。
これ、だいぶ前に読んだのですが正直、イマイチ何を言わんとしているのか
よくわからんな? という印象だったのです。
でも以前より少し、わかってきた(気がする)かも。
生まれ育った故郷との繋がり=神との繋がり
という観点ですね。
なので祖国を離れていくらどれだけ素晴らしい頭脳を培ったとしても
主人公のスタブローギンは健全に怒ることもできなければ
本当に改悛することもなければ
意見述べたところで単なるシニカルな皮肉屋でしかなく
結局何もポジティブな要素が無く
つまるところ人間らしさを失ったまま呼吸してるだけで
神の子としての在り方からは離れてしまった状態に陥っていた、
気づかぬうちに、といったことではないだろうか。
物語に参加できない(人生を生きられない)存在
下巻終了後に別枠で『スタブローギンの告白』というものがあり
これによるとかなりひどいことまでしてるわけですが
この人物は、心から悪いと感じることも「できない」し
悔いることも「不可能」なまでに
神から遠のいてしまっているということを
作者は表現したかったのではないだろうか。
あとがきなどに”世界文学が生んだ最も深刻な人間象”と評されていたのは
このような改悛するための素養自体が毒されており、悪魔としてさえ成立しえない
キャラクターだった為かもしれない。
物語に参加できない存在、とでもいうべきか。これは即ち、
”物語(人生)に参加できない(生きられない)”という事であって、
これほど深刻な悲劇って存在しないわけですね。
あ~だから”世界文学が生んだ最も深刻な人間象”と評されていたのか。。。
『悪霊』は悪魔としてさえ役不足
以前はなぜそこまで深刻であると大げさな言い回しをするのだろう?と
イマイチ理解できていなかったのですが
ようやく事の深刻さに気づいた感。遅い。。。
そういう意味では悪魔は悪魔なりに
きちんと物語の登場人物たりえたわけだが
ドストエフスキーの『悪霊』は悪魔としてさえ、実は役不足で
物語が成立しない圏外の住人だったということですね。
そういえば、『風の時代』がもてはやされていますが
この『風の時代』の怖さはスタブローギン的に圏外に押し出されていても
気がつかない、事なのではないだろうか。
いつかまた、これについて考えてみたいな。
にしても、タロット大アルカナについてまとめようとすると
やはり神の視点というものが必ずついてくるので
やはりある種の『教え』としてのメッセージがたっぷり込められているのだろうなと
つくづく感じますね。