Ⅸ 隠者
真理の探究者のカードです。とても孤独な旅ではありますが、そうせずにはいられない求道者の姿です。彼は独身者でもあり、世俗的な感覚でいう幸福像には興味を示しません。より深い次元での悟りやハイヤーセルフの知恵などの瞑想的なアプローチによりさまざまな叡智を身に着けています。
(↠『タロットカード78枚意味と解釈』 より)
タロット・ヴィジュアライズ・アート『Ⅸ 隠者』

隠者は旅する若者である『0 愚者』のカードを導く存在、導師です。
灯を手にし、培われた叡智を若者に授けます。メンターと呼ばれる存在でもあり
このような人物に出会える事が今や稀、
もしメンターに出会えたなら、それだけで千載一遇のチャンスであるともいえます。
なぜならメンターたり得る智恵の持ち主が失われて久しい昨今だから。
隠者は光明を灯して人々を導く存在。タロットでは愚者を導く存在でもあります。人々を導くとはいっても大衆のリーダーという意味ではありません。あくまでもメンターとして、未来ある若者を導く老師という存在です。昨今はこのようなメンター不在の印象が強く、若者が右往左往するだけで自らの道を開拓できず結局、定型パターンの人生設計を歩んでいるとはいえないでしょうか。
この作品は文豪ドストエフスキーの肖像から制作しています。
智恵を後世の者に託すことができる文学者なので
この『隠者』の”道を照らす者”の象意にふさわしいと考えました。
『カラマーゾフの兄弟』パイーシイ神父の言葉
俗世の学問は、一つの大きな力に結集し、それも特に今世紀に入ってから、神の授けて下さった聖なる書物に約束されていることを、すべて検討しつくしてしまったため、俗世の学者たちの冷酷な分析の結果、かつて神聖とされていたものは今やまるきり何一つ残っていないのだ。
しかし彼らは部分部分を検討して、全体を見落としているので、その盲目ぶりたるや呆れるほどだよ。全体は以前と同じように目の前にびくともせず立ちはだかっているというのに、地獄の門もそれを征服できんのだからのう。はたしてこの全体が十九世紀間にわたって生き続けてこなかっただろうか、今も個々の心の動きの中に、大衆の動きの中に生きつづけているのではないかね?
すべてを破壊しつくした、ほかならぬ無神論者たちの心の動きの中にも、それは以前と同じように、びくともせずに生き続けているのだよ! なぜなら、キリスト教を否定し、キリスト教に対して反乱を起こしている人たちも、その本質においては、当のキリストと同じ外貌をし、同じような人間にとどまっておるのだからの。
いまだに彼らの叡智も、心の情熱も、その昔キリストの示された姿より、さらに人間とその尊厳にふさわしいような立派な姿を創出することができないのだからな。かりにその試みがあったにせよ、できあがるのは奇形ばかりなのだ。このことを肝に銘じておくんだね、お前はまさに他界なさろうとしている長老さまによって、俗界におもむくよう定められたのだからの。
おそらく、この偉大な日を思い出すことによって、わたしが心からのはなむけとして送ったこの言葉も忘れずにいられるだろう。なにぶん若いし、俗世の誘惑はきついので、お前の力だけでは耐えぬけないだろうからな。さ、それでは行っておいで、みなし児よ。
『カラマーゾフの兄弟』パイーシイ神父

アリョーシャのフールズジャーニーはここから始まったのでしょう。長老から世俗に送り出されたアリョーシャははなむけの言葉を託してくれたパイーシイ神父の言葉にある通り、俗世での旅を余儀なくされていきます
神は、はたして死んだのか?
科学技術がもてはやされているものの
パイーシイ神父は言います「かりにその試みがあったにせよ、できあがるのは奇形ばかりなのだ。このことを肝に銘じておく」ように、と。
確かなものは、隠者が愚者に託していく叡智であって、これは「十九世紀間」、生き続けた他ならぬ「実績」があるということに他ならない。二十一世紀に入って一気に世界を席巻しているかのような”その試み”をしている者たちもまた、神が創った姿をし、「それは以前と同じように、びくともせずに生き続けている」のである。
神は死んだ、のか?
びくともせずに生き続けているものとは何か。
脈々と受け継がれるその何かを探り当てるための『愚か者の旅』を
せめて見守ることから始めてみたい。